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※写真は、この私小説があったころのものです(今よりもずっと前の若いときです)
 射精って、「男」を象徴する典型的な行為ですよね。私自身は『男であるのは嫌だ』と思っています。でもそうは言っても、体の生理は男性で生まれてきたわけです。年ごろになると、アソコから白い液体がでてくるのです。そして、出るときには快感がともないます。とても悩ましかったです。出る現象は嫌なのだけど、でも快感がある。嫌悪感と葛藤です。
 ただ、普通の男性のように、女性を触りたいとか抱きたいとか、そういうことは考えたことはなかったです。でも、思春期ごろから、「女性への憧れ」は持っていました。当時は、トランスジェンダーなどという性のあり方があるということは全く知りませんから、「女性への憧れ」があるということは、女性を好きになる普通の男の子だと思っていたのです。
宮崎留美子若い頃/白いセーター 今から振り返ると、それは違っていたのです。「女性への憧れ」は、男性として女性に恋するということではなく、自分が女性でありたいということだったのですが、そんなことは当時はわかりません。そのうちに、テレビの画面などで、男性が女性を装って生きている、今でいうニューハーフの姿をみたときに、ああ、自分はこういうふうになりたいのだと、いくらか自分のことがわかった気になったものでした。
 そのうちに、私自身が女装して街を歩くようになります。女装で歩くというだけでワクワク感が広がったものでした。
 あるとき、私の体が火照るような出来事に遭遇します。電車のなかで初めての痴漢にあったときです。このあたりの顛末は長くなりますから「私を見て欲情することへのとても複雑な気持ち」という別のところにアップしたものをリンクしますので見てください。
 私のことを女性だと思ってくれて、私の体で興奮しているというシーンを思い出すと、体が火照ってきて、自分の手が自然とアソコにいっていました。当然にも、射精ということに結びつきます。快感もありました。でも、その後、『これって、まるで男だよね』と自己嫌悪にも陥ったのです。 いろいろと葛藤しました。普通の女性のように、射精ではなくて体全体で感じるようになりたいとも思うようになりました。『だったら、自分でオナニーすることをやめたらどうだろう』と考えて、以後、自分でのオナニーをやめました。射精ということに嫌悪感があったので、オナニーをやめるということでの苦痛はそれほどはなかったです。たた、男の生理現象がなくなるわけではありませんから、オナニーで射精をしないことで夢精は何度もありました。朝起きて、自分のパンティに白い液体がべっとりとついているのを見ると、嫌だなあと思ったりしたものです。
若いときの写真2 1ヶ月、2ヶ月・・・夢精はあったものの、自分でアソコを触って射精に導くことはしません。そうすると、不思議なことに、私の体の他の部分の性感が高まってきたようなのです。内側の太ももを触られたりすると、ゾクッとした快感におそわれたり、胸を触られると心地よさが体の芯をつらぬいたり、私は、射精以外のことで性感をえられるようになっていきました。1年もたつと、私の性感帯はかなり開発されてきたみたいでした。
 男性の舌が、私の太ももを這ってきたり、耳たぶにキスされたりすると、私は自然と「ああん」とか「あーっ」とかの声をあげるようになっていきました。ときには、部屋に響くぐらいの大きな声で喜悦の声をあげたりすることもあったみたいです。射精ではない他の性感で感じることができるようになったことに、私は喜びを感じていました。でもこのことは、男性のペニスが、私のアナルに入れ込まれるかたちのセックスを拒絶することにもつながっていったのです。だって、体全体を愛撫されることで、私はイッてしまうのですから。もちろん、それで射精するということではないため、私の快感はエンドレスに続くことにもなります。射精以外の快感がこんなによかったということは、それは、自分でのオナニーをやめて、他の部位の性感を発達させることなくしては実現できなかったでしょう。

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